ファンタジーに浸かる

ファンタジー作品や資料についてのブログ。メディアは様々

ファンタジーは自由を求めている

執筆する時、読む時、自分という殻を捨てて、もう一人の自分がいる気がします。

ファンタジーの世界をちらっと覗く時によく起こります。今までの私とは違う全てが、今まで分からなかった部分を照らしてくれます。

自由を追い求めるようになった現代の私達ですが、それは今も続いている。常に新しい世界を求める。それが、私がファンタジーを好きな理由だと思います。どのような時代になろうとも、自由への意識は絶てません。私は自由を愛しています。

 

自由とは恐ろしいもの

自由は、縛るものがないからこそ、正解や目的が用意されていません。人という本質からの解放は、これからの全てを決めなければならず、とても辛いものがあります。

昔は自由に飢えていました。自由を見つけた瞬間、文学は自由の方向へ移り、自由の限界を目指す旅を始めました。現代に生きる私達は、昔の人が見たらとても自由に見えるのでしょうか。また、未来の人には私達はどう思うのでしょうか。

 

ファンタジーは不思議でなければならない

私達はどんどん賢くなってゆく。昔にやっていたSF映画が古臭く見え、宇宙の姿を捉え始め、魔法のようなことを実現してゆく。それは私達の世界を包み、元からあるものしか存在しなくなる。

私の考えでは、ファンタジーの力とは、新しい概念の力というより、考えを変更する力だと思っています。今私達が歩いている未来を、違ったところから覗く魔法です。その魔法は、不思議なものでなければ使えません。歩いている道に魔法があっては、覗けないからです。だから、ファンタジーは時代に寄り添いながら、不可思議な部分を残し続ける。

 

ファンタジーは自由を求めている 

ファンタジーは欲深く、次の自由を狙っています。常にその時代の不可思議な力を持って、私達には見えない自由を表現します。

そういった力は、既にファンタジーという言葉で表現できないものだと分かっています。ある時、日常生活の一部にそうした力があることも。私はその力を追い求め、同時に自由を求め続けていきたいです。終わりはないでしょう。