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ジブリ作品『紅の豚』 二つの目線から見るアドリア海の男たち 

アドリア海の上品な海の色を知っていますか。そこに、の姿をした凄腕パイロットが、軽薄な赤色をした飛空艇で空を走っていたらカッコイイですか。しかも機銃を撃ちまくっているにも関わらず、死者が一人もおらず、女性を巡って喧嘩し合う、そんな単純明快な話だったら好きですか? それが紅の豚です。

 

賞金稼ぎであるポルコ・ロッソは空賊を退治を行う凄腕の豚パイロット。いつも邪魔をしてくるポルコに怒ったマンマユート団たちは、アメリカ人のカーチスを雇う。やがてポルコとカーチスはライバルとして飛空艇での決戦に挑むというものですが、ポルコや空賊、そしてライバルのカーチス、それぞれが非常に気持ちの良い性格をしていて、何も考えずに観ても面白い。

いわゆる男のロマンが特徴的な作品ですが、女性のファンも結構います。ここに登場する男達はどれも怖い顔つきですが女性に対して礼儀正しく、お金に対してケチで、笑顔を隠さない、豪快な人が多い。それは一つのコメディであるし、少し昔では当たり前であった、シンプルな生き様があります。

 

 

ただ……紅の豚は歴史背景としての重さが、もう一つの目線としてあります。

作品の舞台は1930年のイタリア。当時、イタリアは第一次世界大戦戦勝国となりましたが、戦争の負担が大きく、ひどい経済危機を迎えていました。政治はムッソリーニによるファシストでがらりと変わり、世界大戦によって人も物も同じように壊されました。(世界大戦前はある程度の騎士道すら存在していたようです。現在の人々がイメージする戦争は、この世界大戦から本格的に牙を向けたというべきでしょうか。言い訳のできない機械的な殺戮が世界に広がりました)

 

その世界大戦時に大尉として活躍していたのが、主人公のポルコ・ロッソ……本名はマルコ・パゴット大尉です。ポルコが戦時中の話をするシーンが一つだけありますが、婚約したばかりの友を失い、必死になって逃げた末に辿り着いた雲の平原のシーンは、ファンタジーとして多くの役割を持っています。雲の上にある青空を、小川のように流れてゆく無数の飛空艇。敵も味方もたくさんいます。その全てが何も言わず、呼び止めるポルコを置いて、遠くへ漂い、いってしまうのです。

 

マルコパゴット大尉は豚の魔法によってポルコロッソとなりました。それは、不可思議な魔法でありましたが、おそらく自分自身がかけた魔法に違いありません。彼は人そのものが嫌になってしまったのです。

 

「いい奴は皆死んだ奴らさ」 ポルコ・ロッソより

 

(豚の魔法を考えるには、主要人物のジーナが一つのカギとなります。ジーナはポルコの昔を知る大切な女性であり、戦場で死んだ友人の奥さんです。ジーナがポルコのことをマルコと呼び続け、どうしたら魔法が解けるのか、という台詞があるように、彼女はポルコの心を癒したいと切望している)

 

誇りを持っていた仕事・夢ががらりと形を変え、自信を無くしたことはありませんか? 主人公のポルコ・ロッソは戦争経験とイタリアのファシストへの移り変わりによって、人嫌いになったのだと思います。それは簡単に共感出来るようなものではなく、想像を絶するものでしょう。賞金稼ぎとして飛空艇を駆るポルコが、殺しはしないというルールをつくるという行為も、反逆なのでしょう。それはカッコイイ豚の姿であり、哀愁の漂う大人のルールです。

 

私はこの作品をシンプルに観ても良いし、歴史から観ても良い作品として深く尊敬しています。宮崎駿さんも、本当は快活に観てほしいと思っているのではないでしょうか。

個人的に、私はどの目線からでも、行き着く先の感想は同じだと思っています。彼は紅の豚であり、大人のルールを背負う、アドリア海に映える男。自分の生き方を選べる方なのです。

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