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ゼルダの伝説 新作から感じるネガティブな心境

2016年、E3で発表されたゼルダ最新作。その名もブレス オブ ザ ワイルド

 

様々なブログで取り上げられているが、ほとんどが「世界観について」や「過去作品とのつながり」などなど。それも後で書くつもりですが、その前にゼルダシリーズをプレイした人間が抱いた、ネガティブな(しかも少し変わった)文章があってもいいと感じ、最初の記事は、あえて否定的な部分を強調しました。出来るだけ短く。

 

私を含め、友達のファンはこのタイトルに不安と期待が入り混じった感情を抱いている。

問題は不安だ。ゼルダ任天堂の中で素晴らしい立ち位置にいたが、それが誰のせいでもなく、崩れてきていると思っている。

 

どんなゲームも流されてゆくしかない

 

ゼルダゼルダらしさを壊そうとしている。それは必然だ。

 

スマートフォンの襲撃によって、ゲーム業界は未知の世界から大きな打撃を受けた。据え置きゲームを買う人よりも、既にある端末、無料で遊べる気楽なゲームを手にする利用者の方が多い。社会人はともかく、最近は子どもだってあまり時間がないのではないか。「手軽で便利」は現在のゲームテーマだ。

ゲームの中で表現出来ることも増えていった。インターネットは小学生でも始められるレベルとなり、コミュニケーションの意識が進化を促進。

3Dも当たり前の映像となった。その3Dがゲームの先頭を走る頃、発売されたものが時のオカリナゼルダ初プレイが時オカの人もたくさんいるだろう。私もそうだ。今現在、VRのニュースがよく報じていて、3Dすら消えている時代になるかもしれない。

ゲームの悲しい事実とは、こうして偉そうに書いている私もまた、ゼルダの3D組であるということ。初代から遊んでいる友達は時のオカリナを称賛しながらも、「2Dとは明らかに遊び方が違う」と言っている。「雰囲気」というものがしっかりとあるゼルダブランドも、きっちりとゲームの時代を泳いでいるに過ぎない。プレイヤーがいなければ語られることもないので、これは当たり前な事実として考える。

 

ずっと変わらないということは贅沢なこと

で、あれば。何故ゼルダの伝説の記事でこんなことを言ったかというと、私のようなゼルダファンは「新しいものを望んでいるわけではない」からだ。ぶっきらぼうに言えば、ゼルダファンには私のような人が多い。これは開発者側も感じている部分であるだろう。それでも新しいものを取り入れている途中経過が、今回の最新作だ。この解決しないところが、ゼルダの伝説の難しい問題だと私は断言している。他の人気タイトルとは少し勝手が違う。

 

新しい試み。変わらない美しさ。言うのは簡単だが、結局のところ時代に流された末の結果論だ。私は簡単に変わってほしくないのである。オリンピックで総理がマリオになっていたが、ある意味では、ゼルダはマリオのようなポジションにいてほしくない。知る人が知り、ゼルダらしさを固定し続けてほしい、と。言っていて分かるが、私のような一部のファンの熱望はとても贅沢で、受け入れられることは決してないのだろう。

 

今はまだいい。ブレスオブザワイルドは、PVや開発者インタビューを見る限りでは、ゼルダらしさというのがたくさんある。オープンワールドも、それ自体はとても素晴らしい。今までの美しいゼルダの世界がもっと味わえると思う。だが、「新しい試みが当たり前になっている」という事実を、ちょっとだけ皆さんも考えてほしい。私はそこに、大きな恐怖を持つのだ。ジャパニーズホラーの震え。皆が笑いながらプレイしている間に、誰かがこう口走る。「これってゼルダだっけ?」

 

変えてはならないと思っているラインを教えてほしい

開発者に聞きたいたった一つの質問が、それだ。新しいものを追求することが必要だということなんて、教えてもらうまでもない。綺麗事は今言わなくていい。ただ、一人のゼルダファンとして、一体、ゼルダの何を受け継いでいくのか。それだけが知りたい。

 

世界観なのか? 初代から変わらない冒険のワクワクか? 最新作で話題となっているダンジョン性か? リンクの服装だけが受け継がれればいいのか?

 

このブログを読んだファンの人には、理解してもらえるだろうか。私がとてもゼルダを愛していることを。だからこそ、新しい試みというものに一喜一憂できない冷たい感情が残るのだ。それと同じくらい、最新作に期待を持ちながら。

 

次回はブレスオブザワイルドを中心に書きます。

メガザックリ資料 水車について

中世のヨーロッパでは、18世紀の蒸気機関が登場するまで貴重な原動機となっている。

ローマで既に完成形に近いものが発案。しかしローマというより、ヨーロッパで普及され、改良されていった。水車はヨーロッパの一つの顔である。

 

主な水車の役割 

麦を製粉する臼を回す。主にこれが仕事である。

工業の動力

水を汲み上げる(水汲み水車)

 

高炉に使われた水車

森林の開拓が行われた大開墾時代。16世紀くらいから燃料不足となる。理由は製鉄所の木炭の消費だ。

木炭高炉というものがある。木炭と鉄鉱石を高炉の中に入れて燃やす。水車でふいごを動かし、風を送り込むことで高熱を得ることが出来た。水車よりも安定して動く原動機がなかったとも言える。

木炭高炉は深刻な森林破壊を生んだ。そこで石炭を蒸し焼きにして作ったコークスを燃料にすることで何とか解決する。その後、天候に左右される水車は蒸気機関(ワットの回転式蒸気機関)にバトンタッチした。それまでは山の川の近くに製鉄所を設けていた。水車は今こそレトロであるが、偉大な存在と言える? 

 

いろいろな水車

船水車、潮力水車とあるが、もっぱら川のほとりにある。 

 

上射式水車、中射式水車、下射式水車

一般的なイメージ通り。流水を受ける部分による分類。上射式はエネルギーある。下射式は一定の水で回る。

 

横型水車

日本では馴染みのない横型。歯車を介さず、水車の軸が臼の軸となっている。横型から縦型へ移ったとされるが、歯車式よりも安価に作れるため、劣化ではないと思われる。

 

畜力揚水車水車

牛やロバなどの家畜を使って回転運動を起こす→水車の回転に変えて揚水する。

 

バナリテの存在

バナリテとは、ヨーロッパにおいて、領主が市民に強制使用をさせること。水車はバナリテの制度が根強かった。領主や教会は堂々と製粉し、税金を貰う。隠れて、簡易的な製粉機で粉にする人も多かったとか。

挙げられる理由として、以前に紹介した本『中世ヨーロッパを生きる』では、水車の建設が市民にとって大規模であることと、河川利用税による統制があったことの2つがあるとのこと。

 

freader.hatenablog.com

 

 

水車は確かに、イメージよりも複雑で巨大。また、川に人工的な段差を付ける必要もある。これに市民が手を出すより、領主がそれを建造させて、税金を貰うことは自然な流れに思える。

 

河川利用税は、領主が国に払う税だろう。水車の数はとても多く、他に川を使う利用者に影響が出る。そのため、河川利用税を設けて統制する。水車をつくることは色々な事情を抱えることでもあった。

 

農民が払う水車の税金は、平均にして穀物の16分の1。

 

狼と香辛料』の4巻では、粉ひき係の青年が登場する。昔の税金の知識を持っていれば、説明文より先に「大変だねえ、それは」と思うだろう。セルバンテスの書いた『ドン・キホーテ』の粉ひき小屋の番人は、悪魔と間違われて攻撃される。農民の憎しみがよく伝わる。

想像力を教えてくれた『赤毛のアン』について

芸術家にとどまらず、様々な人が想像力を持って、日々を暮らしていますね。でも、想像力って当たり前のようでいて、様々な種類があり、難しいことだと私は思います。

 

想像力ってこんなに大切で温かいのだなと教えてもらったのが、赤毛のアンでした。

 

赤毛のアン (講談社文庫―完訳クラシック赤毛のアン 1)
 

 

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